五条の誓詔
徳川15代将軍慶喜が、慶應3年10月14日を以って政権を返上し、同年12月10日付きで王政復古の令が出され、明治政権が発足しました。
明治元年3月14日(西暦1868年4月6日)天皇が紫宸殿に公卿諸侯を集め、天神地祇をまつり五条を誓約されました。
文案は木戸孝允が最終推敲したもので、その後、わが国の政治における基本指針とされました。
明治8年4月14日の「立憲政体の詔書」、明治14年10月12日の「国会開設の勅諭」、明治22年2月11日の「告文」「憲法発布勅語」「大日本帝国憲法」は、この五箇条の御誓文に基づくとされ、憲法類の筆頭規範と考えられていました。
三瓶 精二
五箇条の御誓文読み方
五箇条の御誓文
ごかじょうのごせいもん。
一 廣ク會議ヲ興シ萬機公論ニ決スヘシ
ひとつ ひろくかいぎをおこしばんきこうろんにけっすべし。
一 上下心ヲ一ニシテ盛ニ經綸ヲ行フヘシ
ひとつ じょうかこころをいつにしてさかんにけいりんをおこなうべし。
一 官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ケ
ひとつ かんぶいつとしょみんにいたるまでおのおのそのこころざしをとげ
人心ヲシテ倦マラサシメン事ヲ要ス
じんしんをしてうまざらしめんことをようす。
一 舊來ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クヘシ
ひとつ きゅうらいのろうしゅうをやぶりてんちのこうどうにもとづくべし。
一 智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スヘシ
ひとつ ちしきをせかいにもとめおおいにこうきをしんきすべし。
我國未曾有ノ變革ヲ爲ントシ
わがくにみぞうのへんかくをなさんとし
朕躬ヲ以テ衆ニ先ンシ天地神明ニ誓ヒ
ちんみをもってしゅうにさきんじてんちしんめいにちかい
大ニ斯國是ヲ定メ萬民保全ノ道ヲ立ントス
おおいにこのこくぜをさだめばんみんほぜんのみちをたてんとす
衆亦此旨趣ニ基キ協心努力セヨ
しゅうまたこのししゅにもとづききょうしんどりょくせよ。
年號月日 御諱
ねんごうがっぴ おんいみな。