駄天は紀之元。言わんとしている事は素敵だ。「母」を「父」に変えたら駄天にはならなかった。敷島の句は確信犯。季語が三つ。ここまでくると馬鹿馬鹿しくていい。荒媚庵は「中年や」が駄目。当人は「中年や」こそがいいと主張した。だれそれの表現にもあるとのこと。パクリ。席題で詠む場合、季語を強調するのがルール。だから「中年や」では中年が目立ってしまうのです。ちなみに駄兄の自信作に宗匠が駄地を入れた。愕然とする駄兄。「こぬ人に 胸も騒ぐや 初嵐」。「騒ぐや」がいけないのです。「古池や 蛙飛び込む 水の音」という名句があり、「古池や」となっているが、それは芭蕉が詠んだのだからレベルが違う。強調はあくまでも基本ということ。他を強調してもいいのだが、我々クラスはまだそこまでいけない。それに芭蕉は席題で詠んだわけではない。よって駄兄の自信作は「こぬ人に胸も騒ぎて 初嵐」。こうすれば宗匠は天にいれました。