プレミアリーグの魅力
イングランドサッカーの特徴はそのスピードと当たりの強さ、そして得点シーンの多さです
全体的に攻撃的なチームが多く、攻守の切り替えも早く常に「ゴールへ向かう」というプレーを見ることができます。
ゲームの流れもスムーズで、軽度の反則にはレフリーは試合を止めたりしません。90分間走る続ける選手を求めるフィールドです。
プレイする選手は英国人のみならず、世界中のトッププレーヤーで大半を占めます。さながら代表選手の選抜チームの対戦を観る思いです。
今実現しえる最高のプレイヤーによる最高のテクニック、闘志溢れるコンタクト、実績を積み重ねた監督の采配などなど見どころは尽きません。
また全ての試合がサッカー専用スタジアムで行われ、ピッチと観客席が近いのも魅力の一つです。
エキサイティングなプレー、熱狂的なサポーターの歓声が観るものを熱くします。
The FA イングランドサッカー協会(The Football Association)
現在行われているサッカーの原型は19世紀初頭に、イングランドで始まったものと言われています。
当時のサッカーは、クラブや学校が違ったルールの下にサッカーをしていましたが、
1863年10月にロンドンにある12チームのクラブ代表が集まり、ルールの統一について話し合いました。
この会議によってイングランド共通の14のルールが設定され、イングランド サッカー協会(FA)が設立されました。
今世紀、サッカーは世界中でもっともプレイされ、観戦され、話題となるスポーツとなりました。
イングランドサッカー協会は、世界的にも有名なFAカップを運営し、サッカーイングランド代表を組織する役割を担っています。
FAカップ 正式名称は Football Association Challenge Cup (フットボール・アソシエーション・チャレンジカップ)
1923 FA Cup Final. Wembley Stadium ボルトンとウェストハムとの決勝戦に押し寄せた観衆は30万人とも言われています。
FAカップはイングランドサッカー協会が主催する、世界で最も歴史のあるサッカーのカップ戦です。
プロ、アマチュアに関係なく、FAに加盟しているイングランド国内全てのクラブに参加資格があり、
ホーム&アウェイ方式ではなく抽選で決定したクラブのホームで試合を行い、引き分けの場合は延長戦はなく、相手クラブのホームで再試合を行います
(※再試合が引き分けの場合は延長戦及びPK戦を行う)。
例年8月より各地の予備戦(
Extra Preliminary Round、決勝戦まで14ステップ)から始まり、
翌年5月に決勝戦が行われます。プレミアリーグのチームは本戦の3回戦からの登場となります。
決勝はロンドンにあるウェンブリー・スタジアムにて開催。一発勝負の為、大番狂わせも起こりやすく 白熱した試合になります。
最初のFAカップは、1871-72年シーズンに参加15チームで開催され、決勝戦はワンダラーズが1-0でロイヤルに勝ちました。
第128回目の08/09シーズンの本戦参加は762チームでした。(2009年、2010年優勝: チェルシー)
フットボールリーグ (The Football League)の誕生
William McGregor 1846-1911
草創期のサッカーゲームは、限られた 地域でのクラブ間の対戦を行っていました。
その後、1871-72年シーズンから始まったFAカップによって大きな変化が起こります。
FAカップは、全イングランドのサッカークラブが参加し、一発勝負によるトーナメント方式で、勝ち進めると試合の入場料や賞金が得られますが、
早い段階で敗退するとクラブへの収入は、極僅かなものとなっていました。
また、1885年にFAはプロチームの結成を認め、実力上位のクラブチームは次第にプロ化するにつれ、安定的な収入獲得の模索を始めていました。
当時の有力チームのアストンビラのオーナーである呉服商ウィリアム マクレガーは、フットボール競技をビジネスとして捉え、
有力チームによるリーグを組織することで、試合数を増やしスポンサーを募る事を提案しました。
この提案が受け入れられ、1888年9月、世界で初の本格的なスポーツ・リーグが、12クラブの参加でスタートすることになり(TheFootball League)、
記念すべき第1回1888-89年シーズンは22戦18勝4分の無敗でプレストン・ノースエンド(PrestonNorth End)がリーグの覇者となりました。
プレストンは1889年のFAカップにも優勝。更に翌1889-90年シーズンも22戦15勝3分4敗でリーグ連覇を果たしています。
参加クラブは年を追う毎に増えて、1892年から実力別にディビジョン1とディビジョン2に分けられ、1920年からディビジョン3が追加されました。
1950年にはリーグ参加チームは92クラブになりました。
プレストン・ノースエンドのリーグ戦無敗の記録は、アーセナルが2003-04年シーズン(Premier League)で38戦26勝12分で達成するまで、
115年間破られませんでした。
へーゼル / ヒルズボロの悲劇
(The Heysel Stadium Disaster)
(Hillsborough Disaster)
1980年代のイングランドのサッカー界はどん底でした。
サッカースタジアムの秩序は崩壊し、フーリガンによる暴力行為が広まっていました。
1985年5月、ユベントスとリヴァプールの「欧州チャンピオンズカップ」決勝戦がベルギーのヘーゼルスタジアムで開催されました。
キックオフの1時間前に発生したサポーター同士の暴力行為により、39人のユベントス・サポーターが亡くなり、600人余りが負傷しました。
この悲劇により、イングランドのすべてのクラブチームは、UEFA欧州の大会への参加を無期限禁止とされ、1990年の解除までの5シーズンに亘り
全ての競技会の参加を禁止されました。
事件後、非難はリヴァプールFCのファンに向けられ、リヴァプールは更に1年間の参加禁止の追加を受けました。
イングランドサッカー界の不幸はこれだけに止まりません。
1989年4月、FAカップ準決勝、リヴァプール対ノッティンガム・フォレストの試合で 後に「ヒルズボロの悲劇」と呼ばれるイングランドサッカー史上最悪の事故が起こり、
96人が圧死、200人以上の負傷者を出しました。
ヒルズボロ惨事のすぐ後に、イギリス内務省は控訴院裁判官テーラーの下に事故の原因調査を命じます。
テーラー卿によって、1989年8月に中間報告、最終報告は1990年1月に提出されました。 (The Taylor Report)
勧告の主な内容は、スタジアム、群衆侵入防止柵、フェンス、回転出入口、切符価格、および他のスタジアムアイテム内のアルコールの販売など多岐に亘り、
特筆すべきは、スタジアムでは観客全員が座って観戦すべきとの提言でした。
イングランドのFAとスコットランドサッカー連盟は、加盟するすべてのクラブがこの勧告に従わなければならない規則を作りました。
この勧告を関係者は誠実に実施し、サッカー専用スタジアムへの改修、立見席の廃止、適正入場券の販売、入場観客のIDカードの実施などを行った結果、
世界で最も快適なサッカースタジアムの評価を受けることとなりました。
プレミアリーグの誕生
イングランドは、国内では幾多の困難と向き合う状況でしたが、外側からは追い風が吹き始めていました。
1980年代後半、ヨーロッパ各国のサッカー界は空前の好景気を享受することになります。
'84年に開催されたロスアンゼルスオリンピックは、商業五輪と渾名され、主催者は僅か数週間のイベントで、
テレビ放映権として約450億円を受取ることができました。
これに味を占めた世界のTV関係者は、スポーツイベントの中継放映に躍起になります。
フランスから起こったテレビ放送の規制緩和が更なる追い風となり、有料民間テレビ局「Canal+」は'84年からフランス、イングランド、
イタリア各国の国内リーグの試合を週に数回程度、生中継しました。
またイタリアの国営放送のRAIなども参入して熾烈な放映権獲得の競争が行われました。
その中でもイングランドのサッカー界は、TVマネーによって劇的変貌を遂げることになります。
これまでの国内リーグ戦の放映は、国営放送BBCが独占していましたが、'88年、フットボールリーグ経営委員会とBBC、独立テレビ『 ITV 』との間で
放映権契約が成立しましたが、リーグトップチームの内10のクラブが放映権料の配分に不満を持ち、
フットボールリーグからの脱退と新たな「スーパーリーグ」立上げを宣言する事態となりました。この騒動は関係者からクラブへの説得が成功して、
新リーグ立上げには到りませんでした。しかし主要クラブの不満は続くことになりました。そして'90年に「SkySports チャンネル」が設立され、
イングランドのリーグ放映権獲得競争に参入したのです。
'91年、翌シーズンからのTV放映権の入札を控え、主要クラブ、リーグおよびイングランド・サッカー協会は協議を重ね、
新たな枠組みに合意した結果、1992年5月、22のクラブはフットボールリーグを脱退して新たに有限会社を創設して
1992-93年シーズンより新リーグの運営を目指すことになりました。
「FAプレミアリーグ」の誕生です。
これにはイングランド・サッカー協会も設立人として名を連ねました。
TV放映権の推移 |
契約金額 |
年額円換算 |
放送局 |
1986年(2シーズン契約) |
|
6.3百万ポンド |
350百万円 |
BBC/ITV |
1988年(4シーズン契約) |
|
44百万ポンド |
約12億円 |
ITV |
1992年(5シーズン契約) |
1億 |
91百万ポンド |
約42億円 |
BSkyB |
1997年(4シーズン契約) |
6億 |
70百万ポンド |
約184億円 |
BSkyB |
2001年(3シーズン契約) |
12億 |
ポンド |
約440億円 |
BSkyB |
2004年(3シーズン契約) |
13億 |
44百万ポンド |
約493億円 |
BSkyB & 海外 |
2007年(3シーズン契約) |
17億 |
ポンド |
約623億円 |
BSkyB |
2010年(3シーズン契約) |
17億 |
82百万ポンド |
約653億円 |
BSkyB/Setanta |
ヨーロッパへ、再び
プレミアに続け! 「The Football League」
プレミアリーグ結成の22チームが抜けた後も、
フットボールリーグ (The Football League)は独自にリーグ運営を続けています。
プレミアリーグと入れ替え制度を保ちつつ、リーグの運営・経営は独立した組織によって行われています。
イングランド(FA)とウェールズのサッカー協会に所属するプロサッカークラブで構成され、2007年でリーグに加盟している数は約130チームといわれています。
リーグは三つのデビジョンに分かれ、夫々24チームが所属し合計72チームがリーグ戦を行います。
The Championship、League One、League Twoのデビジョン間での入れ替え、更に下部リーグとの入れ替えも、毎シーズン繰り返されています。
プレミア同様にTV放映権は重要な収入となっており、Sky-sportsで放映されています。またスポンサーの獲得にも積極的です。
1983年以来、スポンサーの企業名をリーグ名としていて、現在は「Coca-Cola Football League」、コカコーラ・フットボールリーグと呼ばれています。
1983-1986: Canon (Canon League)
1986-1987: Today newspaper (Today League)
1987-1993: Barclays Bank (Barclays League)
1993-1996: Endsleigh Insurance (Endsleigh League)
1996-2004: Nationwide Building Society (Nationwide Football League)
2004-2010: Coca-Cola (Coca-Cola Football League)[9]
フットボールリーグカップ (Football League Cup)は、1960-61年シーズンから開始されました。
参加資格は、大会を主催するフットボールリーグのクラブおよび、プレミアリーグのクラブをあわせた92クラブがトーナメント方式の一発勝負を戦います。
冠スポンサーをつけており、スポンサーが変わる際に大会の名称も変化していて、2003年以降「
カーリングカップ」(Carling Cup)と呼ばれています。
優勝チームにはUEFAカップ(2009-10年度より大会名がUEFAヨーロッパリーグと変更)への出場権が与えられます。
リーグカップ開始の1960-61年シーズン以来、1部リーグ(現在はPremier League)、FAカップ、リーグカップの国内三冠を同時に制したチームは未だありません。
しかしマンチェスター・ユナイッテッドは1998-99年シーズン、Premier League優勝、FAカップ優勝そしてUEFA Champions League優勝の三冠を
果たし、イングランドでは唯一のTriple crownsチームとなりました。
シーズン終了後、デビッドベッカムはバロンドールとFIFA最優秀選手賞では、いずれもバルセロナのリヴァウドに次いで2位に選出され、
アレックスファーガソン監督は翌2000年、ナイト爵に叙されました。
尚、欧州フットボール史において、UEFA Champions League(旧チャンピオンズカップを含む)、国内リーグ、国内カップを制し3冠を成し遂げたのは
マンチェスター・ユナイッテッド、1966-67年のセルティック、1971-72年のアヤックス、1987-88年のPSVアイントホーフェン、そしてまだ記憶にも新しい
リーガ・エスパニョーラ2008-09年のFCバルセロナの5チームを数えるだけです。